2009年2月15日日曜日

信じる力

『悩む力』姜尚中   を読んで

突然ですが、一人暮らしのわたしの部屋にはテレビがありません。正確にいうと前はあったのですが、人にあげてしまいました。意図的に、テレビがない状態にしたかったからです。

その理由はいろいろありますが、一番の理由は、自分が情報に流されやすいということを嫌というほど思い知ったからです。
だったら、不必要な情報は自分からシャットアウトしてしまおう、と。(もちろん、テレビの情報は必要なものと感じている人は多いと思います。今のわたしにとっては必要ない、という意味です。)仕事を始めてからは、時間がなくてほとんど観ていなかったので、だったら場所もとるし無くても良いか、と思ったわけです。



この本の『「信じる者」は救われるのか』という章の一文で、

『・・・それにしたがって人々の心も相当危ういところまできている気がします。ばらばらに切り離された個人個人が、情報の洪水と巨大化したメディアにさらされ、何を信じたらいいのかわからない、何も信じるものがない、と無機的な気分になっているのではないでしょうか。』

とありました。
そう、テレビは情報の洪水。流されやすいわたしには、ちと刺激が強すぎるのです。観たい番組もあるんですけどね。

信じたいものがあるのに、それに対する自分の気持ちというのは、すぐに外からの刺激でゆらいでしまう弱いものでしかない。でもその気持ちを育てたいと思ったら、見たくないものは見なくていい。

誰だっていつでも、自分の素直な気持ちを信じたいはず。でも自分の個人的な気持ちが大きなメディアによって傷つけられたり、知らぬ間に少しずつ浸食されることがあるとしたら、それがもったいないなあ、と。

でも自分が影響を受けたい!と思ったメディアにはとことん漬かりますよ!!
なにせミーハーですから!!!
最近はJ-WAVEと国内外ファッション誌・アート誌が主な情報源。


この本で印象的だった部分は、昔の人々は心が豊かで現代人は心を失っている、とよくいうけれど実はその逆だ、という部分。

『・・・これを逆に言えば、近代以前は、人が何を信じ、ものごとの意味をどう獲得するかという問題は、「信仰」によって覆い隠されていたとも言えます。そして、信仰の覆いがはずされ、「個人」にすべての判断が託されてしまった近代以降、解決しがたい苦しみが始まったと言えます。
・・・・・・(中略)・・・・・・
宗教などを抜きにして、自分がやっていること、やろうとしていることの意味を自分で考えなさいーーー。これは非常にきつい要求です。何かを選択しようとするたびに、自我と向きあわねばならず、その都度、自分の無知さや愚かさ、醜さ、ずるさ、弱さといったものをみせつけられることになります。その点では、逆説的に聞こえるかもしれませんが、「現代人は心を失っている」という言い方は間違いで、前近代のほうがよほど心を失っていたのです。』




なんだかこれを読んで楽になりました。


私は思いついたら行動せずにはいられない質なので、自分を信じて突っ走って、でも途中で自分の考え方が変わったり、自分が夢だと信じていたものが表面的なものだったと分かってしまったり、そんな事を繰り返して来ました。

でもそれは普通の事で、その度に自分に失望する必要なんてないんです。たとえ誰かに責められたとしても。

そんな事を繰り返していけば、だんだん上っ面の余計なものが淘汰されて、自分の本当の夢に出会えるのかもしれない。





なんて思いました。




間違っているかもしれない道でも自分を信じて進むという、そのプロセスが大事なんだと思う。



姜さんも、『自分でこれだと確信できるものが得られるまで悩みつづける。あるいは、それしか方法はないということを信じる。それは「不可知論だ」という人もいるでしょう。でも、途中でやめてしまったら、それこそ何も信じられなくなるのではないかと思います。』
と言っています。



たくさん勇気をもらった一冊でした。

2009年2月10日火曜日

26歳の記念に


ブログを始めました。

美術館に行ったり、映画を観たり、ショップに行ったり、本を読んだり、、、インプットばかりなので、ここで自分が感じた事をアウトプットできたらと思います。

あとは、東京に住んでいて感じることなどを書いて、自分の今までの人生の棚卸しをする場所にしたいと思っています。

出発!!